「Mission」
プロンテラの夜は賑やかだと言われる。おおむね間違ってはいないが、大通りを離れていくと、驚くほど静かな場所も存在する。街の喧騒とは無縁の、人通りのない道。街灯が照らすその通りの脇には、充分なゆとりをもって邸宅が建てられている。多く、身分の高い者たちの住む館が建つところであった。
その邸宅のひとつに、ある男が住んでいた。かなりの地位の聖職者である‥‥が、だからといって決して、徳が高いわけではなかった。
「何度も言っているだろう。厄介事の芽は早めに摘んでおかないと、後で面倒を見る」
男は自室でwis板に話しかけていた。そこは書斎で、彼の他には誰もいない。重厚な造りの机と、壁には所々にレリーフを施した優雅な本棚が置かれている。机の真向かいにドアがあり、その横には柱時計が時を刻んでいた。天井には花の形をしたシャンデリアが輝き、室内を明るく照らしている。いかにも金のかかりそうな内装だった。
男は書斎の椅子に座り、wis板の向こうからの声を聞いている。wis板は冒険者の携帯が義務付けられているが、冒険者でない者でも入手は簡単である。
「うむ‥‥戦う者は少なくないが、盾突く者としては『殴り』の方が厄介だ。奴らは民衆の支持を得やすいからな」
特にこういった密談をする際、wis板は欠かせないアイテムだった。実際に目の前にいない相手とも、自在に会話をすることができる。小声でも充分に聞こえるため、周りに会話の内容が知られる心配も少ない。もっとも、この男は声を潜めている様子はなかったが。
邸宅内の自室である。使用人に聞かれたところで、大した問題ではない。男はそう思っていた。たとえそれが、危険な陰謀であろうとも。
「そうだ。奴と、奴の率いるギルド‥‥その周囲にも殴りや、奴に同調するプリーストが多い。戦の神オーディンに愛された神官戦士だと、街ではひとかどの英雄扱いだ」
忌々しそうに吐き捨てた後で、男は口元に笑みを浮かべた。どう見ても、神の教えを説く者の顔には見えない。
「なに、簡単なことだ。オーディンに愛された戦士ならば、ヴァルハラに送ってやるまでのこと‥‥方法はいくらでもある」
男は話しながら、柱時計に目をやった。何かを思い出したように、wis板を持ち直す。
「詳しい話は、また近いうちにでも連絡する。私はこれから用があるからな」
短く応答して、男はwis板を机の引き出しにしまった。大きく息をつき、椅子に座り直す。その時、部屋のドアがノックされた。男が誰何すると、ドアが開いて使用人が顔を出す。
「失礼します。お客さまがいらっしゃいました」
「分かった。こちらに通しなさい」
一礼して使用人が下がる。男は客を迎えるため、椅子から立ち上がった。いくらも経たないうちに、再びノックの音がして、ドアが開く。
「こちらでございます」
「ありがとうございます」
使用人に案内されてきたのは、まだ初々しいアコライトの少女だった。彼女は緊張した面持ちで、入ってきた部屋の豪華さに目を奪われている。男は優しそうな笑顔で言った。
「よく来ましたね。緊張することはない、ここは私の部屋です」
「あ、あのっ‥‥ありがとうございます。わざわざ私のために、教えを説くための時間を割いていただいて」
アコライトが勢いよく頭を下げた。肩の高さで揃えた金髪が、さらさらと揺れる。一生懸命な彼女の様子を眺めながら、男は口を開いた。
「大したことではありません。あなたは立派なプリーストになりたいのでしょう?」
「は、はいっ」
両目を輝かせ、アコライトが答える。その答えに満足した顔で、男はアコライトに歩み寄った。アコライトの目の前まで来て、いきなり彼女の腕を掴み引き寄せる。
「――ぁっ!?」
「おとなしくしなさい」
とっさに身を引きかけたアコライトに、男が低い声で言う。逃げられないように両腕で押さえつけたまま、男が言葉を継いだ。
「私の言うことを聞いていれば、大司教に推薦状を書いてやろう。苦しい修行など積まなくてもプリーストになれる」
「で、でもこれは‥‥」
驚愕の表情で、アコライトが逃げようともがく。自分の身に何が起きているのか、彼女は初めて気がついたのだ。だが非力な少女には、男の手を振り払えるだけの力はない。男は下卑た笑いを浮かべながら、アコライトに告げた。
「それとも、お前を破門にしてもらうよう、司教に頼んだ方が良いかな?」
「そんな‥‥っ!」
アコライトが悲痛な声を上げた。彼女の全身から力が抜け、泣きそうな顔が男を見上げている。もはや抵抗する気が失せたのを見て、男は片手を移動させた。丸いラインを描くアコライトの胸を、僧服の上から掴むように揉む。柔らかい感触に満足しながら、男はアコライトに言った。
「心配はいらん。殴りなどより、よっぽど立派なプリーストにしてやるぞ‥‥」
アコライトが男から顔を背けた。男はアコライトの服の隙間から、中に手を差し入れる。
その時だった。
「――お断りします」
「ん?」
聞こえた低い声に、男が顔を上げる。その目が、大きく見開かれた。
「かっ‥‥かはっ‥‥!」
声も出せず、男は咳き込むように息を吐いた。だが、代わりの空気を吸い込むことはできなかった。顔を歪ませる男から、アコライトが流れるような動きで身体を離す。鈍い音を立てて、男が絨毯の上に倒れた。苦悶の表情を浮かべ、男はアコライトを見上げる。淡々と服の乱れを直すアコライトからは、一切の表情が消えていた。冷ややかな視線が、床に倒れた男を見下ろしている。
何度か痙攣した後で、男は動かなくなった。アコライトは注意深く屈みこみ、男の様子を伺う。息が完全に絶えたのを確認すると、男の首の付け根から、髪の毛ほどの細さの針を抜いた。注意深く針をしまいこみ、アコライトは窓際へと足を進める。彼女は広い窓を開け放つと、夜の闇へとその姿を消した。
いつもと変わらぬ喧騒。プロンテラ南西の酒場には、今夜もおなじみの顔ぶれが揃っている。またひとり扉を開けて、見知った顔が入ってきた。うさ耳、オペラ仮面の暗殺者、エルである。
「こんばんは」
酒場の面子と挨拶を交わし、エルは辺りを見回した。目的の人物を奥に見つけ、足早に近寄る。隅のテーブルに、銀髪の殴りプリースト、うけひめが座っていた。横の椅子を引いて、エルが隣に腰掛ける。
「どうだった?」
うけひめが尋ねた。何が、とも問わない質問に、エルはあっさりと答えを返す。
「片付けましたよ」
「はい?」
思わず、うけひめが聞き返した。エルは荷物を取り出しながら、もう一度繰り返した。
「片付けてきました。明日には、病死で届けられると思います」
エルはテーブルの上に、アコライトの衣装を載せた。
「これはお返しします。おかげで、早めに近づけました」
うけひめは服を受け取ると、深くため息をついた。続けて、苦々しい表情で呟く。
「やっぱり、若いアコ喰ってるってのはガセじゃなかったのね」
「そのようですね。悪い人でしたから」
盗み聞きしていた会話を思い出し、エルが答えた。
殴りプリに危害を加える陰謀など、見過ごしてはおけない。だが実際、暗殺者は勝手に『仕事』を行うことはできなかった。アサシンギルドの規律に反するからである。
(依頼があって良かったですよ)
内心でエルが付け足した。そうとは知らず、うけひめはブツブツと悪口を並べている。
「ったくあのジジィ、私には5セルも近づかせないクセして‥‥」
言いながら、うけひめは服をしまいこむ。代わりに、小さな包みをテーブルに置いた。コインの擦れる音が、それなりの中身であることを示している。
うけひめが差し出した包みを、エルは躊躇なく受け取った。これは、正当な報酬なのだ。
「悪いわね、面倒なこと頼んで」
「いえ、仕事ですから」
オペラ仮面を外し、暗殺者は穏やかに笑った。