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「Nightmare」

 アサシンの朝は早い。
 まだ日の明けない薄闇の中、エルは静かに目を開いた。今日は野宿ではなく、ちゃんとした宿に泊まっている。ベッドから素早く起き上がり、エルは身支度を始めた。顔を洗って、いつもの身軽な服に着替える。マフラーを巻いて2本のクリップをとめ、ブーツを履く。最後に鏡の前で、大きなリボンを頭の上に結んだ。
 常人では明かりが必要な暗さでも、闇に慣れたエルにとっては、何の問題もない。物音を立てないように扉を開け、部屋を出た。この宿は2階が客室、階下は酒場となっている。朝食をとるため、エルは階段を降りて酒場に向かう。早朝の酒場には、先客がひとりいるだけだった。
 その姿を見て、エルが思わず足を止める。
「ぉー、エルさん。おはよー」
 エルに気づいたのか、先客が声を掛けてきた。神官服にシルクハットの青年は、ギルドRagnarok Runnerのマスター、ツヴァイトである。横には、ペットのドケビが飛んだり跳ねたりと動き回っていた。ペットとは対照的に、ツヴァイトは眠そうな顔でテーブルについている。
「おはようございます。…早いですね」
 軽く驚きを残した声で、エルが挨拶を返した。その言葉に、ツヴァイトは曖昧な笑みを浮かべる。
「んーまあ、早いっつーか遅いっつーか…」
 歯切れの悪い口調から、エルは状況を把握した。ツヴァイトは早く起きたのではなく、寝ていないのだろうと。おそらく、徹夜でダンジョンに篭っていたのだろう。見れば、テーブルの上は飲みかけの青ポーションと、転がった空き瓶で埋まっている。他には、水の入ったコップと、つまみの小皿が置いてあるだけだった。
 さぞ激しい戦闘だったのだろう、とエルはひとり納得した。そこに、ツヴァイトの声がする。
「これから朝ごはんかな?」
「はい、そうです」
 エルが頷いた。ふむ、と相槌を打ってから、ツヴァイトが口を開く。
「俺も。…そうそう、こいつにも水をやらにゃいかん」
 言ってから、水の入ったコップを手にする。ペットに水を与えるのか、とエルが思ったその時。
 ツヴァイトは空いた手で、シルクハットを取った。帽子の下から、装飾用ひまわりが現れる。ツヴァイトは頭上のひまわりに、コップの水を注いだ。
「え?」
 驚くエルの目の前で、ひまわりはすくすくと成長する。いきいきと葉を広げるひまわりを見つめ、エルはしばらく絶句した。
「……生えてるんですか?」
 ようやく尋ねたエルの言葉に、ツヴァイトは満面の笑みで答える。
「うむ、なかなかイイ感じですよ。エルさんもどう?」
 見ればツヴァイトの手には、いつの間にか1本のひまわりがある。何故か身の危険を感じ、エルは思いっきりバックステップで後ずさっていた。

 急に、意識が浮上する。とっさに身体を起こすと、ベッドの上だった。
 辺りはまだ薄暗い。夜が明ける前だと気づいて、エルは大きく息を吐いた。どうやら、夢を見ていたらしい。夢の内容を思い出し、エルは複雑な表情になった。身体の疲労は回復しているが、朝からこれでは気分が乗らない。
 ――そういえば。
 唐突に、エルは思い出した。夢見が悪いのは、ナイトメアという魔物のせいだとも言われる。最近よく行くゲフェンダンジョンには、そういう名前の馬がいた。もしかしたら魔物の呪いか…と考えかけ、軽く首を振る。とりとめのない考えを払いのけ、エルは身支度を始めた。
 顔を洗って、いつもの身軽な服に着替える。マフラーを巻いて2本のクリップをとめ、ブーツを履く。最後に鏡の前で、大きなリボンを頭の上に結んだ。足音を立てないようにドアに向かい、ノブに手を伸ばす。一瞬だけ動きを止めてから、エルは扉を開け、部屋を後にした。

 そして今日も、あるアサシンの日常が始まる。
 


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